スタッフブログ
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2011年9月26日

スタート当初の状況・・・銀行取引

ここでスタート当初に戻ってこんなこともあった話をします。
会社を経営するには銀行の口座が無くては経営が出来ません。
そこで近くの銀行であるT銀行を訪問して当座預金の口座を作ってくださいと頼んだところ、最初のひと言が簡単に出来ませんよ!と言われ・・・
続いて「なんだかんだ」と条件を提示され取り組みたくない雰囲気でしたから、もう結構です!と言ってT銀行を出た。

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2011年9月14日

当初以降の店舗開発の状況・・・本社の拡張と第2拠点開発

昭和47年から49年にかけて、徐々に業績も向上しつつある時、隣接の地主から土地を買って欲しいとの話から工場の北側の約20坪を買うことになり工場が少し拡張できました。これで本社は約100坪になりました。

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2011年9月12日

当初以降の店舗開発の状況・・・ゴトウスバル勝川店として独立創業。

1970年(昭和45年)にゴトウスバル勝川店として独立創業しました。
創業したとは言え、当時国道19号線沿いの2階建の木造の古民家での創業であったため店舗用に改造(展示車を入れるため柱を取り補強した)古民家だからトラックが通過するたび2階ではガタガタゆれた生活でした。

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2011年9月10日

当時の状況・・・プライスボード
現在ほど中古車販売店が多くはなかったが、その当時の販売店(殆んどが修理屋さんの多くであり)販売用としての在庫は持っていたが1~3台の少数在庫であり、フロントガラスに「売り物」と書いてある場合は良い方で入口近くに車を置いてあるだけだった。
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2011年9月9日

当初当時の状況・・・エンジンがかからない電話の対応

お客様から・・昨日納車してくれたスバルのエンジンがかからないから何とかして~~~

私から・・セルモーターは元気よく回りますか?

お客様から・・ずいぶん回したがまだよく回っているがかからないんだけど。

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2011年9月8日

当初当時の状況・・・チョークとアクセルの扱いが大事

シリンダー内に送り込むガソリンと空気の混合ガスは、現在では殆んどがコンピューターによる環境診断とコンピューターによる判断で理想的な混合ガスを送り込むよう進化したが、その当時はその操作を手作業で行ったものです。
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2011年9月6日

当初(1966)年当時の状況・・・2サイクルエンジンのスバル360

エンジンの動力を生み出す「作業行程」は、「吸気」「圧縮」「膨張(爆発)」「排気」の4つから成り、

4サイクルは、一つ一つの作業工程がきっちり分かれています。
 
2サイクルは
「吸気・圧縮」、「膨張(爆発)・排気」を同時に行いますからかなり要領が良いと言うか横着です。
 
しかし、メリットもあります
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2011年9月5日

当初(1966)年の状況・・・車の価格は??

その頃のスバル360の新車価格はSTD(スタンダード)が31万???円DX(デラックス)が34万???円 SDX(スーパーデラックス)が38万???円(???円は正確な数字は忘れましたが確か千円単位でした)

(スバル360は2サイクルエンジンなのでその特徴は後日書かさせていただきます)

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2011年9月3日

当初(1960~1970年)の状況・・・わたしの自家用車

自宅の守山から現在の緑区大高まで通勤は三菱のスクーター125CCで通っていた。

1万円の中古で雨の日は合羽を着て走った。

サラリーマン時代に通勤用に買った中古の

 

マツダB360

それはわたしが

初めて買ったマイカー。

価格は4万円(5~6年落ち?)。

 サラリーマン時代のある日上司が車を買わないかと言ってきた。
「とてもとても」と手を振っていると、4万円でどうだという。
そんなやりとりで買った車が「マツダB360」。
わたしの事情をよく知っている上司の心の値段だった。

この車、軽自動車のワンボックスで4人乗り。
雨でも合羽は要らないし、冬でもヒーターであったかい。
当たり前のことであるけど、わたしにはすばらしいことであった。

今は亡き兄貴が酒屋を経営していた。

日曜日になると西浦温泉の某ホテルまでビールのケースを満杯に積んで
温泉近くの坂道をローギヤーで息も絶え絶えでようやくたどり着いたものだ。

そんなふうに活躍してくれた「マツダB360」は故障いっぱいであった。
雨が降るとエンジンが湿気てかからなくなりだした。
そんなときはプラグをぬいて乾いた布できれいに拭くのである。
そうしてガスコンロであぶって更に乾燥させる。
そうするとご機嫌になってブルンッというのである。

またかかりが悪くてバッテリーがなくなりそうになるときは、

後ろを押してもらい適当にスイッチをいれ、ギアを入れるとブルルンーと動き出したり。

しかしながら、お金が無い私には修理屋持ち込むことが出来ないため

全て自分で修理したものだ。

修理箇所は下図の通りです。

 

何年式かもわからないまま譲り受けて8年間。
雨の日も風の日も夜中も働いてくれた感謝の車。

それが、わたしが生涯わすれられない名車「マツダB360」。
今回はここまでです・・・・・・・次回をお楽しみに・・・・

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2011年9月2日

当初(1960~1970年)の状況・・・車社会は??

この当時の車社会は、マイカーブームであり、トヨタと日産から日本を代表する

カローラとサニーが超人気でクルマの大衆化を一気に進めました。

自動車の普及が急速に進むなか、1960年代には日本の自動車生産台数が

世界第2位に躍り出ました。

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