オークションオープン以降の状況・・・いよいよアップルの展開の開始
オークションの立上から、1年後(平成元年)オークション事業は順調に推移して行ったが、小売中心の商売をしている立場で有りながら、一方ではオークションへの協力として出来るだけ多くの出品も必要である。
その点を認識して、勉強会の時点にテーマであったもう一つの事業である、車買取事業の立上の必要性を感じ準備に取りかかった。
1985年以降の状況・・・役員はオープン日を含めて暫くはこんな事もやっていました。
オークションの良し悪しは、まず出品台数次に成約台数です。
何が何でも成功させたいと思って始めた訳ですから出品台数・成約台数の動向で一喜一憂していました。
1985年以降の状況・・・小売屋が小売屋の為のオークション事業
オークション事業を立ち上げるとなれば、当然マスコミのインタビューがあり、動機&目的等を聞かれる事となります。
当時の社長が答えたが、動機はその15及び16で書きました(過去のブログに戻って見て下さい)ことに準じた内容でしたが、目的は小売屋のグループが小売屋の為のオークション事業をすることでした。
1985年以降の状況・・・オークション事業の立ち上げ
前回では、オークション流通が、キャスティングボードを握った場合、どう乗り切るか?が、最大テーマであったからその続きを書きます。
幾つかの提案の内絞り込んだ案は・・・
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1985年以降の状況・・・中古車の流通を変える、大変革の時代到来
以前は専業店の仕入先は殆んどが新車ディーラーの下取車を一元管理している新車のディーラーの中古車部であり、そこに中古車販売専業店のオーナーが出かけていって中古車部の上司&担当者との付き合いが旨い業者は優先的に儲かる車を仕入れる事が出来るため、各業者は毎日ディーラー周りをしていました。
1970年以降の状況・・・くる○○森パ○のオープン
春日井市柏原町に約1,500坪の共同展示センター(3社参加)「くる○○森パ○」をオープンしました。
このセンターにはイベント用の野外ステージを設けており、当時はまだ区画整理中であり、周辺に民家も少なくあまり周辺民家に迷惑かけないだろう!と思い素人のバンド演奏に解放したところ、どのバンドも容量の大きなスピカーを持参しジャンジャン始めた。
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1970年以降の状況・・・くる○○パ○の開発と・・・その前に・・・
1968年頃の話ですが、中古車の展示場は大きければ大きいほど集客力があり強いセンター経営が出来る時代が来ました。
私は一方で、大型SC開発を自分達が主体で開発しようではないかと言う「気違い軍団(称して春○井○一ショッ○ング○ンター○業○合)と言う長ったらしい法人名に仲間入りし大規模開発のノウハウを勉強していました。気違い軍団とはいえこの経験が後にビックチャンスを掴む事になりますよ???
1970年以降の状況・・・いざなぎ景気と拠点開発
いざなぎ景気とは、1965年から1970年にかけて5年近く続いた好景気。
長らく第二次世界大戦後最長の景気回復期間とされてきたが、2002年1月を底に回復を続けてきた景気拡大が2006年10月時点でいざなぎ景気とならぶ57ヵ月となっている。いざなぎ景気という名称は、神武景気や岩戸景気を上回る好況という意味を込めて名付けられた。