2011年9月10日
車と共に48年「わたしの自叙伝」その8
当時の状況・・・プライスボード
現在ほど中古車販売店が多くはなかったが、その当時の販売店(殆んどが修理屋さんの多くであり)販売用としての在庫は持っていたが1~3台の少数在庫であり、フロントガラスに「売り物」と書いてある場合は良い方で入口近くに車を置いてあるだけだった。
当時は現在より中古車が仕入難で中古車の発生源は大手のディラーしかありませんでした。
名古屋の大手の中古車仕入会社は東京の大手ディラーへ毎日日参して関係を作り名古屋まで輸送していたようです。
だから中古車は世に言う「宝の山」であり売り手市場であった。
ある修理屋さんとお客のやりとり 以下の当時のクラウン(イメージ図)の商談
お客;このクラウンは売り物なの?
修理屋;欲しかったら売ってもいいよ!
お客;幾らで売ってくれるの?
修理屋;幾らで買ってくれるの?
お客;値段は解らないが50万位でどう!
修理屋;馬鹿言ったらいかん。最低で80万出してくれ!
お客;お金をかき集めてくるが80万は無理だから75万にしてよ!
修理屋;しょうがないなじゃ75万で売ってあげるよ!
こんな感じでした。
自分としてはそんな駆け引きは出来ないから操業当時基本理念で「真面目に・コツコツ・一生懸命」で行こうと考えた。・・・・そうだフロントガラスに紙に価格を書いたプライスボードをはろう!
このことは当時としては画期的なことのようで多くのお客様から・・・この地区で価格を表示している店はあなたの店舗だけだ・・・・と喜ばれました。
そして買って頂いたお客様から紹介を頂き徐々に販売数が増加して行きました。
今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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