2011年10月27日
車と共に48年「わたしの自叙伝」の回想録 その37の後編
今は固める期間を短くし、リハビリで機能回復をさせるが、その当時の治療の方法で、先ずはコルセットで固め首を動かさない方法の治療法でしたから精神的苦痛も大きかった。
太陽の日が照ってる昼間はそれほどでもないが、・・・夜になると不安になりこのままでは駄目になるなるかも知れないと思うようになり一週間程は医者の指示に従っていたがその後は自分でコルセットを外し密かに自分流のリハビリを始めました。
そして、10日位経った頃から夜8時頃になると、こっそり病院を抜け出し歩いて5分の会社まで出かけて様子を見に行きました。
当然、専務並びに会社の社員達はびっくりしたが、自分からはもう殆んど治っていると嘘?を言って安心させ連絡事項を5分ほど行なってまた病院へと帰った。
この様なことを繰り返しながら暫くは、自分勝手流の治療法と行動をしていたら、これも自分勝手流の判断だが大分良くなったと判断できた為、医者に正式に外出許可を願い出したところ条件付きだったが了承が得られた。
(今では非常識な、この自分勝手流の治療法は学生当時柔道を行なっていた頃脳震盪等を起こした場合の対処をしていたことからのヒントでした。)
それ以後の回復スピードは目覚しいもので医者も驚いていたようだ。この調子だと心配することは後遺症だけだと。!!!・・・・・
病院通いは1ヶ月程かかったが、もうその頃は病院で「会社の継続も終わりかな」と思っことは消え去っていて雨のち晴の事故だった。
今回ははここまで・・・次回をお楽しみに・・・