スタッフブログ
2011年10月9日
車と共に48年「わたしの自叙伝」その24

1995年頃の状況・・・C○A東京会場開発と日○自○車流○ネット○ーク㈱の掛け持ち作業に奮闘 その1

アップルの関東組も2年程経過すると、業績もある程度起動に乗り関東地区にも関東の人達から、我々にも関係を密にできるオークションが欲しいと声が上がり1997年頃から候補地探しを始めました。
オークションの立ち上げは業界に大きな影響を与えるため秘密裏に行わなくてはならない為、この作業もアップル本部の役員達が手分けして物件探しに奮闘しました。
その行動は関東地区全体を動きまわったと言っても過言でない。

一年位経過した時、ついに千葉県の昭南町に開発可能の物件があると情報をアップルの役員の一人がくれたが・・・・・・・
それではと、実際に行政の関係窓口又は地主関係者に当たってみると、先ずは全く信用してないところから始まった。
それは当然の事かもしれない。
相手さんの考えでは大規模開発の申請では大規模の開発会社が窓口になることが当たり前と考えられている中で得体のしれない連中が直接に直談判に来たのだから・・・・・
そこで私共は行政関係者には同県内に先行して開発したU○Sの話とC○Aの中部会場のパンフレットを持参し説明し、地主さんにはC○A中部会場への視察会を要請しました。
数ヶ月経って私達が何物かが理解できたようで会ってくれるようになり条件等の折衝が可能になり提示された条件を1つ1つ満たしていった。
そして、ついに1998年04月に株式会社C○A東京を設立した。そうした経緯で設立はしたが、内部の体制では紆余曲折があり最初に提案があった関東のアップルの役員達は資本金と支援はするが役員はやれないと言い出し結局C○Aの役員であった私共が役員をせざる負えない事になり設立当初の社長は私が担うこととなってしまった。
開発に3年程経ってからの運営は容易ではなかった。

今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・目次へ戻る

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