バスガイドさんより姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されているとの説明を受け期待できる見学と思い少々足腰にキツイかなと感じながらバスの駐車場から歩いてチャレンジする事にしました。
また、ガイドさんの説明の中ではこんな話もありました。
先の大戦では姫路城も攻撃の的になり2発の爆弾を投下されましたが、1発目は城から離れたところに着弾し破裂しました。
そして2発目が城に着弾しましたが、運よく不発弾でしたから破壊はま逃れましたそうです。
姫路の人達は戦争にも負けない復興のシンボルとして、以後姫路市と心のシンボルとして強い信仰心もって対応し現在の姫路市の発展に貢献されたと聞いておりますとのこと・・・・
私から画像とコメントをご覧になって国宝らしく感じて頂けたら幸いです。
ここ以降は写真の上部に説明コメントを書きます。
いよいよ姫路市に入り姫路城が多く見えてきました (バスの中から撮影) |
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大きな正門が見えてきました。 説明では、櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を
固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋の あることから、この名前が付いていますとのこと。 |
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この堀上の橋には我々の友約だけしか見えませんが、 2年前にリニューアルしてから暫くは満員電車の如く 凄い人の数で昨年の入場者数は286万人以上だった
とのことですが運が良いと言えるか? 本日はガラガラ状態でしたからゆっくり見学出来る から足腰が痛まないかな?と期待・・・
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いよいよ城内に入り姫路城が最初に見えるアングルだったから パチリと撮影 |
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そこで待っていたのは姫路市の案内役の年配の方名前はは忘れましたがお喋りだい好き人ですからガイドさん から注意;あまり質問しないでください。 理由は時間が遅くなるから・・・との事
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この坂階段はテレビドラマの暴れん坊将軍の撮影に
よく使われるところとの事・・
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この△の穴はというと敵が攻めてきた時この穴から 狙い撃ち するための穴で向う側は小さくなっており 銃口だけが出る ように作られ形が円錐形になってい ますとのこと・・・・
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さらに生き残りの兵士がここまで来たらこのような 大きな石を転がして撃退する。
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天守閣に近づくと通路はさらに狭く、天井も低くして あります。刀&槍等武器を振り回せないように・・・ |
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いよいよ天守閣に入りました。 内部はこのような木材で組立られており頑強さを感じさ せる作りです。 しかし、見学者はここからが大変であり【踏みしろが小さく
そして急な階段】を数百段?ひたすらのぼり続けて・・・
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いよいよ姫路市に入り姫路城が多く見えてきました (バスの中から撮影) |
ようやく天守閣の最上階に登った。皆、はぁ~はぁ~ ぜぇ~ぜぇ~ の呼吸です。 |
最上階では何故か?神棚が祭って有り手を合わせる人 もいた。 |
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中にはお城周辺の模型が作ってあった。 |
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またお城の模型も作ってあった。 |
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お城の外へ出て下から見上げたらまるで白鷺の姿に見 えそこでパチリ・・・ |
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姫路城見学の最期の写真はお菊の井戸ですが、お菊とは番町皿屋敷の伝説に登場する悲劇の女性のことです。
そこでどのようなことなのかネットで調べました。URLは以下です。
http://tasogarekowai.blog.so-net.ne.jp/2014-07-25
牛込御門内五番町にかつて火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷がありました。ここに菊という下女が奉公していましたが、承応二年(1653年)の正月に、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち一枚を誤って割ってしまいます。
怒った奥方は菊を責めますが、主膳はそれでも生ぬるいと、皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまいました。
菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げます。まもなく夜ごとに井戸の底から「一 つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡ることに。
やがて奥方の産んだ子供には右の中指が無かったといいます。この噂は広がり、公儀の耳にも入り、主膳は所領を没収されることになります。
しかし、その後もなお屋敷内で皿数えの声が続くというので、公儀は小石川伝通院の了誉上人に鎮魂の読経を依頼します。
ある夜、上人が読経しているところに皿を数える声が。
「八つ……九つ……」、そこですかさず上人は「十」と付け加えると、菊の亡霊は「あらうれしや」と言って消え失せました。 |
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次の第3回目は、兵衛向陽閣内の食事&宴会等の紹介です。