当初当時の状況・・・チョークとアクセルの扱いが大事
シリンダー内に送り込むガソリンと空気の混合ガスは、現在では殆んどがコンピューターによる環境診断とコンピューターによる判断で理想的な混合ガスを送り込むよう進化したが、その当時はその操作を手作業で行ったものです。
続きを読む
当初(1966)年当時の状況・・・2サイクルエンジンのスバル360
エンジンの動力を生み出す「作業行程」は、「吸気」「圧縮」「膨張(爆発)」「排気」の4つから成り、
4サイクルは、一つ一つの作業工程がきっちり分かれています。
2サイクルは
「吸気・圧縮」、「膨張(爆発)・排気」を同時に行いますからかなり要領が良いと言うか横着です。
しかし、メリットもあります
続きを読む
当初(1960~1970年)の状況・・・わたしの自家用車
自宅の守山から現在の緑区大高まで通勤は三菱のスクーター125CCで通っていた。
1万円の中古で雨の日は合羽を着て走った。
マツダB360
それはわたしが
初めて買ったマイカー。
価格は4万円(5~6年落ち?)。
サラリーマン時代のある日上司が車を買わないかと言ってきた。
「とてもとても」と手を振っていると、4万円でどうだという。
そんなやりとりで買った車が「マツダB360」。
わたしの事情をよく知っている上司の心の値段だった。
この車、軽自動車のワンボックスで4人乗り。
雨でも合羽は要らないし、冬でもヒーターであったかい。
当たり前のことであるけど、わたしにはすばらしいことであった。
今は亡き兄貴が酒屋を経営していた。
日曜日になると西浦温泉の某ホテルまでビールのケースを満杯に積んで
温泉近くの坂道をローギヤーで息も絶え絶えでようやくたどり着いたものだ。
そんなふうに活躍してくれた「マツダB360」は故障いっぱいであった。
雨が降るとエンジンが湿気てかからなくなりだした。
そんなときはプラグをぬいて乾いた布できれいに拭くのである。
そうしてガスコンロであぶって更に乾燥させる。
そうするとご機嫌になってブルンッというのである。
またかかりが悪くてバッテリーがなくなりそうになるときは、
後ろを押してもらい適当にスイッチをいれ、ギアを入れるとブルルンーと動き出したり。
しかしながら、お金が無い私には修理屋持ち込むことが出来ないため
全て自分で修理したものだ。
何年式かもわからないまま譲り受けて8年間。
雨の日も風の日も夜中も働いてくれた感謝の車。
それが、わたしが生涯わすれられない名車「マツダB360」。
今回はここまでです・・・・・・・次回をお楽しみに・・・・
当初(1960~1970年)の状況・・・車社会は??
この当時の車社会は、マイカーブームであり、トヨタと日産から日本を代表する
カローラとサニーが超人気でクルマの大衆化を一気に進めました。
自動車の普及が急速に進むなか、1960年代には日本の自動車生産台数が
世界第2位に躍り出ました。
※はじめに・・・
この自叙伝を書くにあたって約50年近く過去に遡り
回想しながら書きましたから、事実と違う部分が有ると思います。
これをご覧の方の中で事実と違うとと思われた方があった場合、
ご連絡頂ければ幸いです。(ご指摘ありしだい早速手直します)また、実名を避け匿名にて表示するため会社及び個人名を
○○○又は□□□等に表現した箇所があります。スタート当初の状況
私は、1968年に脱サラし、自動車関係の会社に携わりました。
当時は下図のような車(スバル360)が人気の主流でした。