スタッフブログ
奥田
  • Thumbnail前編の続き・・・・・
    そして、銀行周りが始まった。そこで各銀行には当座の処置として私共が代返する事の承諾と詳細を教えて欲しい!と要請し結果的に承諾を得た。

    代返を始めてから数日後、某会社から電話があり、社長が帰ったから、そちらに社長が行くとのことで待ってたら社長が現れた。

    そこで、全容は解ったが、当時の私共の会社から判断すると途方も無い多額の借金であって緊張感で体が硬直した。

    しかしながら何とか解決しなければならない、と思い当時法律事務所に勤務していた弟と共に解決する方針を固めました。

    そうした内に、また社長が居無くなったが、もう社長本人は居ても居なくても同じと思い弟と精算計画をたて粛々と実行して行きました。

    その概要は、直ぐに破産と直ぐに破産せず担保物件を任意売却しながら銀行への返済金は代返してゆく方法の比較をシュミレーションした結果直ぐに破産方法を取った場合私共の会社も運営して行けない程大きな違いが予想出来ました。従って破産せず担保物件を任意売却し行く方法にしました。

    精算出来たのは、実に1年以上、被った負債金額は数千万でしたが処分出来なかったあまり価値のない不動産物件と相殺して解決しました。

    尚、某会社が破産に至った原因は本業が車屋でありながら、バブル的に値上がりが続く不動産取引に魅力を感じてか不動産売買を積極的に参入したが、ある時期を境にそのバブルが崩壊しし一気に財産価値が目減りしたことが主な原因だとわかりました。

    この事で得た反面教師的な教訓は、借金をする場合本人の補償能力の範囲内にすべきで決して他人を巻き込んではならない。又保証人になる場合は万一の場合は自分が全て責任を取る事、と自分に言い聞かせながら進んで参りました。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・目次へ戻る

  • Thumbnail今回は、2009年 10月にオープンしたアップル名岐バイパス春日店を紹介します。

    (この店舗が最も最近に出来たアップル店です)

    この店舗は、過去において当社のアップル店舗を数店開発及び工事をしてくれた建築屋さんでした。
    この建築屋さんは小規模の業者でしたが、着手すると本当に真剣に取り組む姿勢に好感が持てました。
    その業者が手がけた一店舗を弊店した折、非常に残念がってこの様な打診があった・・・・・・「貴社は今後の店舗開発は如何に考えてますか?」その答えとして当社からは・・・「アップル本部のルールに沿い、目立つ場所で、敷地面積が広い、物件が有ったら出店を考える」と返事をしておきました。

    暫く経過し返事を忘れた頃、非常にいい物件があるから検討してみませんか?と連絡が入りよく良く聞いてみると以前その業者が手がけた店舗で結納飾り等を陳列販売していた店舗と言うことでした。

    折角の電話ですから一応見に行こうとばかり社長と共に現地へ行き見たところ場所と面積は良いと思ったが店舗が古くリニューアルするには相当予算を取らなくてはならないと思ったが方向としては前向きに行きますと連絡した。
    暫くしてアップル本部から連絡があり、実は某アップル加盟店がそこで展開したいがエリアルールの関係で当社の承諾を取りたいとの内容でした。

    あれあれ何故?他言はしてないのに・・・・と急ぎ業者に連絡したら具体的には某アップル加盟店にまだ何も返事をしていないのに・・・と言いゴトウスバルさんが優先だと思ってますとの事であった。

    それから急いで取組2009年 10月にオープンすることが出来ました。

     

     

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
    次回からは私の回想録として遡らせて頂きます。

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  • Thumbnail今回は、2004年8月にオープンしたアップルかしわ店を紹介します。

    国道16号線に面したこの店舗は,二転三転した店舗ですがその経緯は以下です。
    当初は行政の要請でオークション会場のC○A東京の駐車場用地として開発しました。

    その後、有効に利用しないため当社に又貸し提案が有り、当社の中古車小売センターを暫くチャレンジしたが結局旨くいきませんでした。
    しからばと、カーコンビニ(軽板金)とチャレンジしたが、これも行政から大型看板は正式に許可できない。との事になりました。

    従って、大型看板無しでカーコンビニとアップル店の複合店舗暫く営業していますた。
    その折、オートバッ○ス系列のカー○札幌がアップル展開を始めたいと申し出が有り再又貸し方式でカー○札幌のアップル店に貸しました。
    その後、カー○札幌のアップル店は止めたいとの申し出により再び当社のアップルに変更し現在に至ってます。

    その後今度は地主からこの土地を買って欲しいとの申し出が有り、買う事にしました。
    面積も約1,000坪と大きく複合店舗開発も可能であり、将来期待できる拠点と思っています。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail2004年以降・・・・今回は、2004年8月にオープンしたアップル岐阜21号店を紹介します。

    以前大和ハウスに大垣&各務原店を紹介してくれた折、大手のメガネ店であるこの店舗が空いたら利用したいと申し入れしていた物件でした。・・・・

    直ぐ近くにG社の直営店があり、相当高い実績を出していると聞いておりましたが、この店舗なら競争できると思い過去に無い人事配置の方法を実施しました。

    その方法は、先ず店長を立候補による方法と企画書提出方式を導入しました。

    しかしながら、店舗内社員の確執が生じ旨くいきませんでした。
    その後の人事配置を二転三転し現在の人事になり徐々に業績は上向いてきており、今では弊社のアップル店の中では、上位の実績を出している店舗になっております。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1998年以降・・・・今回は、2001年10月にオープンしたアップル一宮22号店を紹介します。

    一宮は大変良い市場と聴いておりましたが、当社のアップル開発に躊躇するものがありました。
    以前、このエリアは他の加盟店で車買取店がありこのエリアでの展開は当社のアップル展開は控えて欲しい。・・・・・・との要請があった事と、その後、その買取店は倒産しユーザーに未払い金を残してしまったとの情報があり、買取店に車を売るとお金が貰えない等の噂が広まっていた。

    そして、倒産直前の提案があり当社に他社の店舗を居抜きで譲渡したい。と申し出が有り全ての店舗の譲渡を断った経緯もあったことが躊躇の要因でした。

    そしてこの地で開発する場合の以下の要件を充たすことが重要と判断した。
    ○店舗条件は倒産した前買取店と比較した場合、見た目で不安を感じない規模であること。
    ○ユーザーが不安感を持たない接客営業の実践する。
    ○前買取店の取引で起こったダメージ部分の払拭をすること。
    以上を考慮の上、拠点候補を探して欲しいとの要請に答えた不動産屋の紹介物件が現在の店舗でした。

    そして、H13年10月にオープン出来て現在に至ってます。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1998年以降・・・・今回は、2000年7月にオープンしたアップル府中本宿店を紹介します。

    当社のエリア圏内の中において、西東京地域は以前に東府中店と昭島店2店舗を稼動したが、いずれも思わしい結果にならなかった。

    2店舗をリストラ店舗候補と判断する変わりに甲州街道沿いに良い場所を探査していたところ甲州街道沿いではないが、これと交差する新道がありその物件を不動産業の大和ハウスから紹介があり、現在の社長が早速、現地調査に出かけ調査した結果この沿線は期待できるとの判断で開発した。

    上記にも記したが、2店舗の退転と、この店舗開発は担当は現在の
    社長が殆ど一人で段取りしたものです。

    そして、H12年7月にオープンし現在に至ってます。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1998年以降・・・・今回はアップル大垣インター店アップル各務原店を紹介します。

    1998年11月にオープンしたアップル大垣インター店を紹介します。
    この拠点の前進は大垣市の市街地に存在した「アップル大垣店」でした。

    しかしながら、拠点の地形が余り良くなく縦長で出入口が狭く車の出入り
    が難しい事と、国道21号線のG社が経営する同業他社とアップルWなる同業他社の店舗にはさまれ立地的にはあまりよくないと言うことで移転候補地を探していたところ、大手メガネ屋チェーンの再生計画がありそのデベロッパーから複数店舗居抜き利用の話が来ました。

    アップル拠点としては少し大きすぎるかな・・・と思いましたが良く目立つ店舗でしたから、思い切って契約することにしました。
    そして、上記の1998年11月にオープンしました。

    次に1998年11月と同時期ににオープンしたアップル各務原店を紹介します。
    この店舗も上記の大垣IC店と同じくメガネチェーンの居抜き物件でしたが大垣IC店の内容が違うのは、大垣IC店の方は土地&建物全てが地主さんの所有物件でしたが、この店舗は建物がデベロッパー所有でした。
    その為建物は買って欲しい・・・との商談でしたので建物は当社で購入しました。
    建物も大きく駐車スペースもゆったりと広く、国道の信号の角地で目立つサインポール、アップル拠点として申し分ないと思い2拠点を同時に開発オープンしました。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1996年以降・・・・今回はゴトウスバルの本社屋建設とアップル春日井中央店を紹介します。

    1997年8月にゴトウスバルの本社屋建設致しました。

    この本社建設は、弊社のあゆみにとって大変大きな出来事でした。

    当社の本社の所在は元カーコンビニ倶楽部の2階の事務所を使用していました。
    創業から32年経って業績も順調に向上してきたため、そろそろ本社屋を建設しようと計画に着手しておりました。

    その場所の予定地として自社物件である勝川駅前の土地(約600㎡)にて設計に入り、いよいよ確認申請の提出という段階で柏井町の地主さんが相談にみえて使用中の土地を譲りたい、との申し出でが有り購入することにしました。

    その時点で対面にAEON(旧SATY)の進出の噂が有り、もしそれが出来れば1等地なるから、そこへ本社建設と計画を変更し直ぐ段取りに入りました。

    本社機能とアップル店舗の機能、そして社員が全員集合できる会議室の機能をもつ総合ビルの建設の入り約10ヶ月で完成しました。
    そして、上記年月に竣工式と共にオープンしました。
    竣工式では、当社の関係者が多数参加していただき多くの祝辞を頂きました。

    又、社員には、祈念講演会として田○真○先生に「積極的に生きる」をテーマ講演をいただき大変感動しました。

    同時期には、本社の建設の関連でアップル店舗「その名もアップル春日井中央店と銘名し」総合的に開発して当社の母店の役割の期待を込めて思い切った予算を計上して作りました。

    このアップル店舗の役割も非常に重要と考え当時のNO1アップルマン(現在の役員)である人材を店長としてスタートさせ出来るだけ早い時期に当社のアップルNO1店にしようとチャレンジしました。

    スタート後数年で社内では名実ともNO1店になりました。
    今後もこの店舗の役割としては当社のモデル&母店であり、そしてアップル加盟店のモデル店を目指して成長し続ける店舗であって欲しい拠点です。
    2011年7月には、更に使用面積が拡張でき現在では敷地内に3箇所の商談室とサービス工場も併設しております。
    営業メニューとしては、アップルの中心業務である車・買取の他に販売、キズ凹み直しのカーコンビニ、レンタカー、等多くのメニューに対応しております。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・

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  • Thumbnail1996年以降・・・・今回はアップル恵那店を紹介します。

    1996年12月のオープンしたアップル恵那店を紹介します。

    当社としては、アップル拠点展開を積極的に広げる為、取引銀行に物件紹介を依頼していたところ恵那のメイン通り(19号線)の角地を某銀行が紹介して頂きまして本社からは少し遠さを感じましたが、

    検討の結果店舗の開発に着手して1996年12月にオープンさせました。

    恵那店の特徴としては角地で敷地面積は広く2箇所の出入り口をもつ拠点である。

    この拠点の商圏は広範囲で、しかも山・川・田園風景の中にある、地方色豊かなお客様が多くこのニーズにあった対応が重要な拠点である。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1996年以降・・・・ここから暫くは、中部地区のアップル拠点開発の続きを書きますが、これ以降紹介する店舗は現在操業中の店舗です。
    尚、今回はアップル可児店とアップル瀬戸店を紹介します。

    1996年3月にオープンしましたアップル可児店を紹介します。
    可児周辺の商圏は非常に期待できる商圏である、と社員からの情報から
    是非可児に拠点を開発したいと思い、不動産屋に物件探しを依頼していたところ現在の場所をどうですか?と紹介が有り現在の○○部長に検証してもらったところ、その近くに国道248号線のバイバスが出来ると聞き契約することにしました。

    間口は広いが奥行きが短い「うなぎの寝床」のような地形でしたがそこでスタートしました。その結果査定数は平均より多く予想通りでした。
    現在「H19年5月とH23年7月」の2回に渡り裏の地主の駐車場を専用利用のお願いに同意して頂いた為、拡張工事と店舗のリニューアルしました。

    次に1996年7月にオープンしましたアップル瀬戸店を紹介します。
    瀬戸店は、それまでの店舗開発と違い某社員が定年まじかに委託営業店にチャレンジしたい、と申し出が有り本人自ら場所探しを始め見つけた場所でスタートをしました。
    最初は一人店長で始めたが、数年経過した時点で病魔に侵され治りはしたが、一人では無理と判断し営業社員を雇用し二人で頑張った店舗でした。
    その後、数年の年月が経過の中でスタッフの入れ替えをし現在の店舗となりました。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • Thumbnail1995年頃の状況・・・C○A東京会場開発と日○自○車流○ネット○ーク㈱の掛け持ち作業に奮闘 その2

    C○A東京会場開発を進めながら一方ではアップル本部での役員会に参加し、各店舗の実績分析&本部運営とアップル拠点開発等の研究と実践も行なっていました。

    当初アップル本部の所在地は千葉県の行徳にありましたが、各役員が通勤に不便と言う意見が多く出た為に、暫くして東京駅のすぐ前の○○ビルに移転しました。

    お陰で大変便利のなりましたが、便利と引き換えに出勤回数が多くなりほぼ毎週の出勤が3日は関東での仕事となり名古屋から関東までの往復を繰り返していました。

    時には、C○A東京会場開発の仕事であり、時には、アップル本部での仕事と繰り返す日々で寝泊まりはホテルでした。
    お陰でC○A東京会場もオープンすることが出来アップルも店舗数が増加して行きました。

    但し、このような功績はアップル本部の役員でS氏の存在が大きく何処へでも行き極端に言えば「我武者羅」に行動する彼がいたから出来たと今さらながら感謝しています。

    そして私は、中部地区の拠点開発と、まさに二足+αわらじを履いている状況をこなしていました。
    振り帰って回想すると、この頃が自分の人生の中で最も忙しい時であったと思うところです。
    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・目次へ戻る

  • Thumbnail1995年頃の状況・・・C○A東京会場開発と日○自○車流○ネット○ーク㈱の掛け持ち作業に奮闘 その1

    アップルの関東組も2年程経過すると、業績もある程度起動に乗り関東地区にも関東の人達から、我々にも関係を密にできるオークションが欲しいと声が上がり1997年頃から候補地探しを始めました。
    オークションの立ち上げは業界に大きな影響を与えるため秘密裏に行わなくてはならない為、この作業もアップル本部の役員達が手分けして物件探しに奮闘しました。
    その行動は関東地区全体を動きまわったと言っても過言でない。

    一年位経過した時、ついに千葉県の昭南町に開発可能の物件があると情報をアップルの役員の一人がくれたが・・・・・・・
    それではと、実際に行政の関係窓口又は地主関係者に当たってみると、先ずは全く信用してないところから始まった。
    それは当然の事かもしれない。
    相手さんの考えでは大規模開発の申請では大規模の開発会社が窓口になることが当たり前と考えられている中で得体のしれない連中が直接に直談判に来たのだから・・・・・
    そこで私共は行政関係者には同県内に先行して開発したU○Sの話とC○Aの中部会場のパンフレットを持参し説明し、地主さんにはC○A中部会場への視察会を要請しました。
    数ヶ月経って私達が何物かが理解できたようで会ってくれるようになり条件等の折衝が可能になり提示された条件を1つ1つ満たしていった。
    そして、ついに1998年04月に株式会社C○A東京を設立した。そうした経緯で設立はしたが、内部の体制では紆余曲折があり最初に提案があった関東のアップルの役員達は資本金と支援はするが役員はやれないと言い出し結局C○Aの役員であった私共が役員をせざる負えない事になり設立当初の社長は私が担うこととなってしまった。
    開発に3年程経ってからの運営は容易ではなかった。

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  • Thumbnail1993年以降の状況・・・日○自○車流○ネット○ーク㈱創設当社のアップルもいよいよ関東へ進出

    関東への進出は、1990年頃私共が始めた車買取専門のアップルの噂が関東まで評判になったのか、関東から一人の紹介者が引率した中古車小売業者が数名来名し知りたいが教えてくれないか?と打診があった。
    私共スタートを共にした3社と相談した結果これは流通革命になるかもしれないと感じありのままを見せ語ったところ、その中の一人の方がそれは嘘だろう!そんなうまい話は信用出来ないと言い出した。
    信用出来ないと思うならやらなくていいじゃないの!とばかり返事を返したところ、すまん言い過ぎたすまんと誤りその後もう少し話を聞きたいとなった。
    そこでお茶でも飲みながらとなり、結果的には貴方達も関東へ出て一緒に立ち上げないか!となった。

    数日経過後、じゃ一緒にやりましょう!と中部で始めた3社の内2社と他の加盟店の一社が関東へ進出することにした。
    そのような訳ですから関東への進出目的は関東の業者の支援が主体でありました。

    1993年(平成5年)
    中部地区48店舗出店 関東地区展開を日指し、千葉県市川市に日本自動車流通ネットワーク(株)設立、その物件はビルイン方式で「本部の管理業務と店舗(直営)」が同席したものでした。
    その当時の本部設立の目的は中部地区の実績を踏まえ関東で旗揚げして将来は全国ネットと考えていました。1階が店舗で2階が本部の管理業務にスペースでした。

    関東支出にあたっては、日本自動車流通ネットワーク(株)が管理本部の役割を果たす必要からボランタリーチェーン(VC)本部として種々の規程を作成し、それ等のルールに沿った運営管理からスタートしました。

    当社は、初期段階から出資者&役員として参加して事業計画の企画段階から中部での経験を生かす方法で様々の提案しました。
    その中の1つのルールに加盟店別エリア分けが有り、当社は神奈川・東京都下・千葉県の一部をエリアとして決りました。
    準備に3ヶ月程掛かりましたがいよいよ店舗開発がスタートしました。

    当社が手掛けた関東地区の店舗は以下になります。
    流山店・行徳店・多摩生田店・東府中店・下高井戸店・渋谷富ヶ谷店・花輪IC店・府中本宿店・かしわ沼南店・八王子店・昭島店・四つ木店と12店舗を開発しましたが、その中で現在営業中の店舗は府中本宿店とかしわ沼南店の2店舗にし他の店舗は別の加盟店に譲渡し又は弊店しました。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・

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  • Thumbnail初めまして、こんにちは!本社の後藤 敦と申します。初めてのブログアップとなります。 

    以後お見知り置きを・・・ 

     

    今回はあるテレビ番組を今回紹介いたします。 http://www.bsfuji.tv/topgear/

    その名は”TOP GEAR”日本ではBSデジタルの”BSフジ”チャンネルで放送されています。 

    地上波で見れないのは残念なんですが、DVD等も発売されるほどの人気番組。 

    某有名動画サイトにも専用チャンネルがありますのでぜひチェックしてみて下さい。 

    その内容は・・・

     

    その① 

    車で船を作ってドーバー海峡を横断!イギリスから海を越えてフランスに行ってみよう!
    http://www.youtube.com/watch?v=WTVPPTV-bQM 

    その②

    これからは宇宙の時代?古い三輪車でスペースシャトルを作ってみよう!
    http://www.youtube.com/watch?v=_b4WzWFKQ20 

    その③ 

    犬ぞり×ハイラックス対決!北極まで車で行ってみよう!
    http://www.youtube.com/watch?v=WNkvASxfEWQ 

    ナドナド・・・BBCと言えば日本ではNHKにあたる国営放送。お国柄なのかもしれませんがよくこんな番組をOKしたな・・・と思える程の過激な内容です。

    秋の夜長のお供となれば幸いです。それではまた・・・

  • Thumbnailオークションオープン以降の状況・・・いよいよアップルの展開の開始

    オークションの立上から、1年後(平成元年)オークション事業は順調に推移して行ったが、小売中心の商売をしている立場で有りながら、一方ではオークションへの協力として出来るだけ多くの出品も必要である。
    その点を認識して、勉強会の時点にテーマであったもう一つの事業である、車買取事業の立上の必要性を感じ準備に取りかかった。

    理想的には、小売屋が小売屋の為のオークション事業がテーマだったから、C○Aの全役員会社が一斉にスタートしたかったが、各企業の事情もあってスタート当初は3社でスタート(同時オープン)した。店舗名は「アップル○○○店」時は、平成元年9月でした。

    上画像のロゴマークに位置が同時オープンした3店舗です。
    アップル展開についての感想
    1;当初、全国的にも買取チェーンを事業化している事を見聞した覚えが無く、初めての事でしたので心配しながらオープンしました。
    2;オープンは春日井・天白・豊田の3店舗が同時にスタート初期の目的のC○A支援についてはある程度自信が有ったが事業として特に採算が取れるか? が心配でした。
    3;オープン広告は中日スポーツの前5段の広告だけでしたがオープン後の2~3日は1日当たり電話が100~150本と対応が大変でしたと店長が言っていました。
    4;当社の創業春日井店の店長は、Y・T社員が担当したが、予想を超える反応に仰天した。
    5;オープンで自信を付けてからは、積極的に店舗展開をして以後は、小牧店・尾張旭店・多治見店・岩倉店と開発して行きました。

    これ以降は暫く店舗展開について書かせて頂きます。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・目次へ戻る

  • Thumbnail1985年以降の状況・・・役員はオープン日を含めて暫くはこんな事もやっていました。

    オークションの良し悪しは、まず出品台数次に成約台数です。
    何が何でも成功させたいと思って始めた訳ですから出品台数・成約台数の動向で一喜一憂していました。

    1988年05月に第1回オークション開催をしましたが、この時は3ヶ月も前からお願い営業しておりましたから目標をオーバーしましたがその後は徐々に出品台数が減り始めました。

    そんな時急いでとった行動は知り合いの会員に電話で出品のお願いする一方で積載車が到着する場所に役員が待機し積載車が来ると運転手に暑い中ご苦労さんと声をかけ荷下ろしを手伝い、ジュース等をサービスしここで一服してくださいと伝えへ出品ヤードまでの移動運転を手伝っていました。

    そうしたことを続けている内に積載車の運転手には評判が良くなって行きました。
    その他評判が良くなるだろうと思われることは積極的に行動しました。
    そのようなことが効してか月を重ねる度に業績は好転していきました。

    上画像は現在のC○A中部会場のイメージパースです。
    そして1年経過した頃、もうこの調子で推移して行けば起動に乗るだろうと判断し当初の懸案事項である小売屋さんにより良い品を集めて提供していくオークションにと取り組み始めました。・・・・それは・・・

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・

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  • Thumbnail1985年以降の状況・・・オークション事業の立ち上げ

    前回では、オークション流通が、キャスティングボードを握った場合、どう乗り切るか?が、最大テーマであったからその続きを書きます。

    幾つかの提案の内絞り込んだ案は・・・
    ①オークション事業を自分たちで立ち上げること。
    ②オークション仕入に変わる仕入ルートの開発(ユーザー買取等)

    上記の2点に絞りさらにオークション開発事業に早速取組むことになりました。
    そこで各メンバーが持ちよった候補地の中で豊田に開発可能な用地があるという事で、各担当を決め早速開発に着手しました。

    当然ながら開発は難航し時には役所へ時には地主宅へ時には地元の議員などあらゆる関係者に合い折衝し、約1年位交渉&折衝が続いた。

    数ヵ月後ようやく許可が出され以後は、工事の段取り・システムの研究&契約 等、各役員が分担して進めたが会員開発だけは役員全員で各地域を回り飛び込み営業を行った。

    また既に開催しているオークション上へは直接出かけてパンフレット配りを行った。

     

    昭和63年に、現在のC○Aが誕生しました。

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・

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  • Thumbnail1985年以降の状況・・・中古車の流通を変える、大変革の時代到来

    以前は専業店の仕入先は殆んどが新車ディーラーの下取車を一元管理している新車のディーラーの中古車部であり、そこに中古車販売専業店のオーナーが出かけていって中古車部の上司&担当者との付き合いが旨い業者は優先的に儲かる車を仕入れる事が出来るため、各業者は毎日ディーラー周りをしていました。

    しかし、この頃からから中古車の流通の有り方が大きく変化のきざしが現れだした。
    そのような流れを大きく変えた流通方法はオークション事業の急成長でした。

    当時の私は、仕入担当として急成長をしているU○Sオークションに参加していた時、
    小売中心の業者達がオークション主体流通時代の到来を予測して将来の小売業者に与える影響等を研究するグループの結束を呼びかけられ将来の事業の有り方はどう有るべきか?というテーマを基に毎週オークション終了後に場所を移して勉強会を実施しました。

    メンバーは、本音で話し合えるであるべきとの条件で企業機密書類まで見せ合えるメンバーに絞込み結果7社になりました。
    1度失敗した共同事業を再度チャレンジする気になったのは、メンバー選びが大切なことで約3ヶ月ほど名古屋市内の某サウナでディスカッションを重ね互いに信頼関係を保てるメンバーになりました。

    勉強会では、全国の小売大手を招き意見を聞き、将来すべき事業の有り方提案が多数出ましたが、特化して出た意見は、将来必ずオークション流通が、キャスティングボードを握るのはあきらかであり、これをどう乗り切るか?が、最大テーマであった。・・・・・

    今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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  • 後藤 健治 wrote a new blog post in the group ゴトウスバル本社 グループのロゴゴトウスバル本社 グループのロゴゴトウスバル本社: 13年 5か月前

    Thumbnailゴトウケンジ です。

    新HPになりましたので、アップル春日井中央店からより本社へ異動してのブログとなりました。

    これって、知っていますか?

    そうです、かなりの年代の方は既知のポイントセットです。

    え、ポイント  って何???

    その昔は、自動車のエンジン不調といえば、

    プラグ ・ ポイント ・ デスビーローター ・ デスビーキャップ ・ プラグコード  がほとんどの原因でした。

    その、ポイントは消耗品のため、どこの修理工場や自動車屋さんでも常備品でした。

    このてんとう虫号もやっぱり相当に消耗し、もはや寿命の感でした。

    さて、ここで何とか部品商さんへTEL・・・・・・4日間かかって新品商品が届きました。

    なんと、価格は400円也

    ありがとう細野さん、&デンソーさん 43年前の価格じゃないでしょうか、当時の私の給料は31500円でしたよ。

    感謝感激の部品でした。

    ポイントの役割はネットで調べてください、私より正確な説明がたくさんあると思います。

     

    ちなみに、このポイントセットの中古品がYahoo のオークションで1500円で売っていました、買う人かわいそーすきるね!!

     

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