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後藤 勝章 wrote a new blog post 車と共に48年「わたしの自叙伝」その9 in the group
ゴトウスバル本社: 13年 11か月前
当初以降の店舗開発の状況・・・ゴトウスバル勝川店として独立創業。
1970年(昭和45年)にゴトウスバル勝川店として独立創業しました。
創業したとは言え、当時国道19号線沿いの2階建の木造の古民家での創業であったため店舗用に改造(展示車を入れるため柱を取り補強した)古民家だからトラックが通過するたび2階ではガタガタゆれた生活でした。その頃の生活では結婚後間もない妻(現在の専務)には同居の社員を含む「食事・洗濯・接客・事務等」を全てまかないながらの生活で、大変な苦労をかけ申し訳なく思っております。(今さらながら感謝・感謝です)
そんな生活の中で生まれたのが長男(現在の社長)でしたから、よちよち歩きの時点から作業場が大好きでつなぎ姿のスッタフと油まみれになって育ちました。その影響か今でも車大好き人間です。
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佐藤 が「
アップル春日井中央店」グループに参加しました 13年 11か月前
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後藤 が「
アップル春日井中央店」グループに参加しました 13年 11か月前
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石原 が「
アップル春日井中央店」グループに参加しました 13年 11か月前
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後藤 勝章 wrote a new blog post 車と共に48年「わたしの自叙伝」その8 in the group
ゴトウスバル本社: 13年 11か月前
当時の状況・・・プライスボード
現在ほど中古車販売店が多くはなかったが、その当時の販売店(殆んどが修理屋さんの多くであり)販売用としての在庫は持っていたが1~3台の少数在庫であり、フロントガラスに「売り物」と書いてある場合は良い方で入口近くに車を置いてあるだけだった。
当時は現在より中古車が仕入難で中古車の発生源は大手のディラーしかありませんでした。
名古屋の大手の中古車仕入会社は東京の大手ディラーへ毎日日参して関係を作り名古屋まで輸送していたようです。
だから中古車は世に言う「宝の山」であり売り手市場であった。
ある修理屋さんとお客のやりとり 以下の当時のクラウン(イメージ図)の商談
お客;このクラウンは売り物なの?
修理屋;欲しかったら売ってもいいよ!
お客;幾らで売ってくれるの?
修理屋;幾らで買ってくれるの?
お客;値段は解らないが50万位でどう!
修理屋;馬鹿言ったらいかん。最低で80万出してくれ!
お客;お金をかき集めてくるが80万は無理だから75万にしてよ!
修理屋;しょうがないなじゃ75万で売ってあげるよ!
こんな感じでした。
自分としてはそんな駆け引きは出来ないから操業当時基本理念で「真面目に・コツコツ・一生懸命」で行こうと考えた。・・・・そうだフロントガラスに紙に価格を書いたプライスボードをはろう!
このことは当時としては画期的なことのようで多くのお客様から・・・この地区で価格を表示している店はあなたの店舗だけだ・・・・と喜ばれました。
そして買って頂いたお客様から紹介を頂き徐々に販売数が増加して行きました。
今回はここまで・・・・次回をお楽しみに・・・
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山本 真也 wrote a new blog post 春日井中央店 in the group
アップル春日井中央店: 13年 11か月前
ブログテスト
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山本 真也 が「
アップル春日井中央店」グループに投稿しました。 13年 12か月前
う~ん
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